『私的教師生涯』

fai22008-01-11


一度DVDに難があったが、今度送られてきた商品は大丈夫で全編見ることができた。ほっ。

『私的教師生涯』概要

監督:鄭克洪
主演:梁家輝(レオン・カーファイ)、秦海[王路](チン・ハイルー)

教師の道一筋に生きたある男性の40年にわたる教師生活を描いた作品。
1963年夏、彼の教師としての人生は、月亮湾小学校という小さな村の学校へ赴任することから始まる。それから、彼は幾度もの忘れられない夏を教え子たちと共に過ごすことになる・・・

1963年夏、草木茂り小さな渓流の水清らかな田舎、月亮湾村にカメラとアコーディオンを担いだ一人の若い男がやってくる。彼は陳玉(梁家輝)、この村の小学校に新任してきた教師だった。学校に赴いた陳玉は校長に歓迎される。子供たちとの出会い。女教師;周敏との出会い。そして、まもなくこの学校では校長による体罰が行われていることを知る。学校の雰囲気を快活にするために、陳玉は音楽の授業をもっと多くして欲しいと校長に申請するが却下される。しかし、受け持ちの女子生徒;呉春燕に特別な音楽的才能があることを知った陳玉は、個人的に取り寄せた唱歌の本を彼女に与える。体罰を嫌悪する陳玉だったが、ある日、いたずらっ子の張宏才にからかわれ、己もまた教鞭を宏才に向けて振り上げてしまう。そんな自分を省みる陳玉の心の拠り所は、恩師の娘;小蘭との文通だった。
いろいろな生徒がいた。葉宝富という優秀な少年がいた。彼は父子家庭で、陳玉はその父から自分に何かあったときは、息子を頼むと息子の生活費を託される。程なくその父は連行され、傷心の葉宝富は村から失踪してしまう。陳玉と女教師;周敏の仲をからかう、ませた女生徒もいた。成長期の彼らに大人の男女の違いを教える性教育を行った陳玉を校長はそんなことを教えるべきではないと叱咤する。農村にあっても文化を学ぶべきだという陳玉の教育方針は、生徒の親からも非難が起こる。結局、陳玉は月亮湾小学校を追われることになる。そして、時代は文化大革命の時代へ・・・。

1968年夏、月亮湾小学校を離れた陳玉は、大隊の中で豚の世話をしていた。文化大革命が始まって久しいこの時代、周敏や彼女に片思いの李剛も下放して、大隊で働いていた。隊長になった李の追求を拒み続ける周敏は、ひそかに陳玉を思い続けているのだった。そんなことを全く知らない陳玉は、閑さえあれば一人で古いアコーディオンの修理をしているのだった。陳玉のかつての生徒たちも成長して青年になり、入隊して、毛沢東主席を讃える歌、紅太陽や文革を鼓舞する芝居を練習する毎日だった。
そんなある日、彼は宏才が毛主席の詩の歌詞を間違って発声しているのを聞き、注意する。宏才は「五洲震盪風雷激」の「洲」(zhou)の発音を、「川」(chuan)と言っていたのだ。間違いを指摘した陳に向かって隊の宣伝部長はきちんと調べることなく非難する。宏才は陳の言うとおり「五洲震盪風雷激」とうたうが、宣伝部長に「私と先生とどっちの言うことを信じるの?」と詰め寄られ、結局、舞台の本番で間違った詩を読み上げてしまう。それを知った陳玉は、李隊長に「教え子の間違いは教師の自分の間違いだ、自分を罰してくれ」と必死でかけあうが、受け入れられない。宏才たちは、その罪により、過酷な労働の地へ送られることになる。そのころ、陳玉と周敏は、静かな恋愛を実らせ結婚する。

1984年の夏。陳玉は南渓県の小学校で教員を務めている。子供たちに音楽を教え合唱隊を指導している。小蘭からの近況をつづった手紙を久々に受け取る。陳玉と周敏夫婦の間には濤濤という息子がいて、周敏は息子の進学に関して陳玉の態度に不満を持っていた。昔の教え子たちも成長し、いたずらっ子だった張宏才は小紅と結婚して自転車屋を営んでいた。ある日、陳玉が張宏才の店を訪れた際、自分の息子が親に内緒でアルバイトをして自転車を買っていたことを知る。息子を叱り付ける陳玉。そんな陳玉だが、学校では合唱隊の子供たちにお揃いの制服を作るため、子供たちと共に村のために働いていた。また、教え子で歌が上手かった呉春燕の娘;張小洋が、特別な音楽的才能を持っていることを認め、その才能を伸ばしてやるために町の専門学校へ通わせることを呉春燕の家に薦めに行く。しかし、呉春燕の家は学校にあまりに遠く、金銭的にも娘を通わせる余裕が無い。陳玉は彼女を自分の家に預かり、町の学校への送り迎えも自分でする。ある日、陳玉は北京へ行くことに。子供たちが働いて貯めたお金で合唱隊の制服を北京の服工場に注文していたが、まったく連絡が無いため、直接工場へ行ってみる決心をしたのだ。行きの汽車に乗り込んだとき、息子も一緒に北京へ行くと言ってついてくる。工場の住所を調べて探すが、結局どこにも見当たらなかった。失意で帰りの汽車に乗った陳玉に追い討ちをかけるように、息子から自分は家には戻らずこのまま北京で何かすることを探す、と告げられる。度重なるショックに体調を崩す陳玉だったが、呉春燕の娘の送り迎えはどんなときもかかさなかった。そして、子供に去られた周敏も傷心の末、北京に彼を探しに出て行く。快復した陳玉はまた学校で誠実に働くのだったが、小蘭から恩師の死を知らせる手紙が届く。小蘭の悲嘆と今後を案じる陳玉。北京から、妻周敏が戻った。彼女は、陳玉のために家の豚を売りお金を作ってきていた。おかげで子供たちは新しい制服を着て晴れがましく合唱の発表会を迎えることができる。感慨深くそれを見守る陳玉周敏夫婦。

1998年夏。陳玉も周敏も白髪の老齢となっていた。彼は、今も小学校の教師を続けている。濤濤は北京で暮らし、周敏は体調を壊し病院に通っている。張小洋は美しく立派に成長して中国中央電視台に出演する歌手になっている。陳玉たちは彼女の出演する番組を楽しみにしている。陳玉は相変わらず学生たちを自分の本当の子供のように気にかけ、大切に成長を見守っている。呉桂蓮という不登校の少女を盛り場で探して自分の家に保護したりしている。そんな中、周敏の病はかなり重くなっていた。自分が残り少ない命だと知る彼女は陳玉に「あなたはいつもアコーディオンの修理ばかりして、私は、いつもあなたの横で、修理が終わったら曲を奏でて聴かせてくれるだろうと待っていた。ずっと待ち続けて、ついに一生よ・・・」と静かに言う。二人きりの庭で、陳玉はアコーディオンを抱き青春時代の曲を弾いて聴かせるのだった。

2000年夏。周敏は病気で亡くなった。陳玉は7月で教師を退職した。小蘭からの手紙も途絶え、陳玉が出した手紙も宛名人不明で返送されてくる。小蘭も・・・。陳玉は自分の教師人生の始まりの地、月亮湾を再び訪れる。老朽した月亮湾小学校の建物はまだ残っていた。一人、修理をしながら、子供たちの笑い声や笑顔が満ちていた楽しい時代を追憶する陳玉。そして、40年前と同じ川原で一人記念撮影をするのだった・・・。

我的感想

一人の誠実な教師と慈愛に満ちた妻の40年の物語が淡々と描かれている。文革前夜、若い二人は月亮湾という小さな村の小学校の教師として出会う。新任地での校長や子供たちとの交流、そして淡い恋。そして文革の嵐の中、濁流に流されるような苦難の時代も黙々と働き、淡々と生きてゆく。常に教職に忠実で生徒思いの陳玉と、いつも静かに彼に寄り添い支える周敏。老齢の域に達しても、互いを思いやり、手を取り合う。まさに模範的な教師像と夫婦像。最初と最後の画面で陳玉が自分を撮影する月亮湾の小渓の流れは、静かでゆるやかに、そして滔々と、二人の人生を象徴している。
物語自体は文科省特別推薦のような清く正しい映画なので、特に突っ込みどころもなければ面白味も無い。修身の教科書を読むごとくの味わい。でも、一人の無名の教師の人生の光芒と教え子の成長をひたすらに見守る姿は胸に響くものがある。ラストの川原のシーンは彼の人生の完結と重なり大変清々しい。また、主人公の教師;陳玉を演じる梁家輝さんは、ランニングの似合ういい体をした若い年代から、白髪よぼよぼのお爺さんに至る年齢まで、ほぼ出ずっぱりなので、ファンとしては大変に美味しい作品であります。演技も香港映画や『苹果』よりかなり抑え気味で、久々に素朴な文芸調家輝さんを拝め、けっこう満ち足りた鑑賞感でした。しかし、非常に惜しむらくは、家輝さんの声が吹き替えであること。『苹果』では本人の声だったけれど、こちらの映画では、違っていた。方言の発音に問題があったのだろうか?文科省推薦はさすがに普通語の発音にうるさいってか?劇中ナレーションは老年の陳玉が回想しながら語るって手法だから、老齢の人生観溢れる声の語りでもまあ仕方ないとして、吹き替えの声は若い年代の時からなんやらオッサン臭くて少々違和感あり。まあ、家輝さんの声もかなり独特だけど、せっかく中国の片田舎まで行って撮影したのだから、本人の声をぜひ使って欲しかったですよ、鄭監督。