ポーリン・チェン

fai22006-07-20

 陳寶蓮(ポ−リン・チェン)が美しい肢体を見せる「Erotic Ghost Story III 聊齋三集之 燈草和尚」1992年 →

 陳寶蓮( Pauline Chan )が上海のビルから飛び降り自殺したのは2002年の7月31日だった。ちょうど4年前。その翌年の4月、レスリー・チャンが投身自殺、またそのころ香港を始めアジア各国でSARSが猛威をふるい、そしてアニタの病逝。レスリーアニタ、80年代の香港映画の象徴だった二人の死は大変ショックで印象深い。私は、二人が亡くなったという情報をまずインターネットの情報で知り、CSのニュースなどで見た。ところが、実はこの上海出身の妖艶な性感女優ポーリーンが飛び降り自殺をしたとき、私はちょうど香港に旅行中だった。ホテルのテレビで第一報を知り、そして香港の新聞や雑誌にデカデカと彼女の遺影や、なんとデスマスクまで載せたものまであり、美しかった人のあまりの無惨な最期にかなり衝撃を受けた。多分、薬物中毒だったとも思われる彼女はその以前から奇行が多かった。家輝さんとも親しかったようで、彼は何度も彼女を励ましたり病院を見舞ったり、お金を貸したりもしている、と記事で読んだこともあった。ポーリンが亡くなったとき、生後半年くらいの嬰児が残された。その子のことを考えると、まったく遠い世界の人ながらも、私は胸が詰まったものだ。
 壹週刊にその陳寶蓮の遺児に関する記事が掲載されていた。記事によると、4歳になるその男の子は王菲のマネージャーだった女性が香港で面倒をみているらしい。まるで本当の親子のように子供は彼女やアーマーさんになついているようで、子供らしく無邪気そうで、とても可愛い男の子のようだ。娯楽圏の人が面倒をみているということは、もしかしたら将来は彼もその世界に進むのかもしれない。どちらにせよ、あの赤ちゃんが元気に暮らしているのを知って、本当に安心した。