『長恨歌』の感想

良かった。いい映画だった。大きな時代の流れの中で変わり行く都市、上海の運命と、そこに生きる一人の美しい女の一生、愛の遍歴。中国の最も華やかなりし年代と、歴史的にもいまだタブーとされている時代、その30年間を流れるように生きた王蒅瑤という女性のさまざまな出会いと愛別離苦の物語。でも、サミーの個性のせいか、魔都上海に潜む暗黒感や燃え立つ情念や怨憎のようなものは感じない。時代に翻弄された、というより、最もその時代らしく生きたというべきか。(余談だが、出会う3人の男性遍歴がつい先日読んだ「アッコちゃんの時代」と妙にかぶっていて、男にほっておかれない美女の宿命というものをちょっと感じてしまった(笑))
今まで娯楽作品が多かったサミー、比較的表情の明るいテンションの高い演技が多かった。今回はかなり抑え目の役柄。しばらくこの映画の役柄王蒅瑤から抜けきれなかった、と言うくらいだから、かなり全身全霊投入したのだろう。本当によく頑張ったと思う。この映画がもしかしたら彼女の女優としてのターニングポイントになるかもしれない。かつてマギーが「ロアン・リンユイ」でそうだったように。

さて。
家輝さん。
なにはともあれ、スタンリー・クワン監督に御礼を言いたい。
「こんなすばらしい映画を完成させてくれてありがとう!!ずっと待ち焦がれていました!ずっと見たかったんです!こんな家輝さんを!!」
素晴らしい映像、家輝さんの演技はかなり押さえられている。
表情も決してオーバーな色は見せない。
声も終始静かな低いトーン。
それでいて、誰よりもずっしりと重い存在感。
熟練の演技がそこかしこで静かに深く香り立っている。
片思いの女の運命をずっとそばで見守る男。
彼女にとってはいつも脇役、いい友達。
でもこの映画の本当の主役は間違いなく程先生。
私が最も感情移入できたのもやはり程先生。
映画を見終わったとき私は彼の涙の中に溶けてしまっていた。

映画のなかで一番好きなシーン。
上海で苦難の時期を味わった王蒅瑤のもとへ親友の麗莉が訪れるシーン。
二人は駆け寄り無言で抱き合い、王蒅瑤はとめどない涙を流す。
全編を通してサミーの演技には低温なサラッとした感じを受けるのだが、唯一このシーンには万感の思いが込み上げてくるようで、私の目頭も熱くなった。

そして、文藝バージョンの家輝さん演技の中で、明るくきらめく名シーンを少しばかり。

上記のシーンの後、王蒅瑤と麗莉が手を取り合いダンスをするのだが、ちゃっかりとそこに参加して一緒に踊り始める家輝さん。古いとこでは「追男仔」、ちょい前では「大丈夫」、レアなとこでは「新傾城之戀」の「踊る家輝さん」発見!

明るいわけではないが、文革で農村労働に行き、その後上海に戻ってきた程先生、えらい老け方早いんとちゃいますか(爆)?かたや王蒅瑤はまだ、息子ほど年の離れた若い男子といい関係になるっていうのに・・・程先生、なんかどう見ても70代の老け込み方ですわ。映画では特に年齢のことは触れていなかったけれど、原作によると王蒅瑤と知り合った時26歳のはず。だとしたら、彼女より6〜8歳ちがいくらいかな。よほど労働がきつかったんですかねえ・・・。まあ、私としては、あのような侘しげな家輝さんも最高に好物なので、イイんですが。ま、ちょっとね。

このように、いろいろ果てしなく感想はありますが、ぜひご覧になったみなさまのご感想も聞かせてくださいね。