「記憶喪失のピアノマン」〜梁家輝のエッセイより

ダニー・ザ・ドッグ」ばりのピアノマンはその後どうなったんでしょう?
 家輝さんの見解はコレです。相変らず、家輝さんらしい見方(笑)をなさっていて、私的にかなり受けました。


香港文匯報5月30日のエッセイより

「記憶喪失のピアノマン

 先だって新聞で読んだ話であるが、イギリスのケント州の砂浜で、精神的ショックのためか記憶を失った一人の「ピアノの天才」が発見された。暴風雨の中、この「ピアノマン」は砂浜付近をひとりでよろよろと歩いていた。警察は彼を保護したが、彼は身なりはきちんとしているものの精神的には不安定な状態で、身元を示すものは何も持っておらず、全ての質問に口を閉ざしていて、病院に送るほかなかった。

 医療関係者も彼に話をさせることはできず、紙とペンを用意して、彼がなにか手がかりとなるものを書くことを期待した。1時間後、この男性はスウェーデンの国旗とグランドピアノを描いた。ここから彼があるいは音楽に関係があるかもしれないと推測して、彼を病院の小さな教会へ(そこに唯一1台のピアノがある)連れて行き、彼の反応を試してみた。すると、やはりこの男性はためらわずピアノを弾き始め、表情はきわめてリラックスして、1曲終わると更に1曲と弾き続けた。このようなことが数日続き、毎日数時間、全く疲れた様子も見せず楽しそうだった。そうして、ピアノマンの名は、あっという間に伝え広がった。

 私は新聞を読んだ後、疑念でいっぱいだった。もしこの男性が本当にピアノの天才ならば、彼の郷里(スウェーデンとは限らない)の先生や友人は彼を探さないはずがない。もし外国人ならば、入国記録があるはずだ。それに、彼のピアノの芸術が天才的なレベルであると形容するものは、病院の従業員たちにすぎず音楽専門家ではない。全ての出来事は人々の想像も加わりロマンチックになっているのではないか?

 編集者が記事に標題をつける場合、できるだけ読者を引きつけたいのはあたりまえだ。いわゆる「死体は艶やかに、火は大火事に」である。砂浜で一人の男性が発見されたのでは何の話題にもならない。しかし、もし彼がピアノを演奏することができ、その上天才的なレベルとあれば、読者に提供する想像の空間は大いにちがってくる。その人のピアノの芸技量がどのくらいか、本当に天才的レベルなのかということについては、誰も調べたりしないようだ。

 筆者はふと思いついた。もしこれをもとに映画のストーリーを書くとすれば、この男性はもともとただの平凡なピアノ演奏家として、「記憶喪失」によって知名度を得て、マスコミが大騒ぎしている時突然自然に病気が治り、更に勢いに乗じてCDを出す。彼は身をもって話題性を作り、とんとん拍子に売れてゆく。しかし、彼の女性マネージャーは全ての事の成り行きに関わっていて、確実な証拠をもって彼の財産と感情をコントロールしようとする。そしてついに恩怨情仇のドラマを引き起こし……こんなストーリーだともっと面白いのではないかな?