7月29日;文匯報


 インターネットは私たちの世代で重要な発明の一つで、これは疑うところがない。出版業界からみれば、多くの作者は以前は出版する可能性は全く無かったが、今は発表するチャンネルができた。彼らはまずインターネットで試されて、それから出版商業者に気に入られ紙の印刷物にし、それからベストセラーになる、こういうことはもう神話ではない。


 昔、筆者と友人が同人誌を出版した頃のことを振り返ってみると、小さな刊行物なので読者は少ない、編集、製版、印刷、発行にはいろいろな制限があり、白黒写真を一枚入れてもコストが上がり、カラーのページは何期か一緒に色によって分けて製版費を節約するなどなど、すべてが頭の痛い問題だった。それは原稿を書く以前の問題だった。今日となると、大部分の技術上の問題は簡単に解決できる。ただ一生懸命文章をうまく書くだけでいい。なんと幸せなのだろう。


 しかし、インターネットは、出版と運営方式に影響を及ぼすばかりでなく、書籍の設計にも影響を及ぼす。近日偶然新しく出版された歴史書を読んだのだが、本物の文字版そのものではないことに気がついた。毎章の最後に注釈が加わり、図も多い。注釈は随時ページに小さな枠画で見られる。ブラウザーのページで「Pop-Up」を見るようで、窓の中のキーワードからまたその他の類似の用件がどんどん引き出され、私のような旧式の読者は、時に気が散るような感じがするのだが、これも有益な創意と言えるだろう。


 先にインターネットで話題になって、本になって、それから映画になった日本のストーリー「電車男」は、典型的なインターネットが平面出版設計に影響を与えた例だ。その本を開いてみると、その「電車男事件」の掲示板そのままを印刷したように思う。管理人は自ら「電車」で痴漢に遭った少女を助け、しかし彼女とデートの約束をする勇気が無いと言い、するとネット仲間たちがあれこれと口を出し、アイディアを出し、賑やかに物語を進めていく。その中のどのくらいが真実で、どのくらいが偽物かは、もう重要ではない。


 近日、若者の中の話題は、その出版業と同じようなチャンネルを通して、インターネットの虚偽の世界から現実の世界に進出する歌手で、彼らは本当に実力さえあれば、市場を独占した大会社に頼らなくても成功できる物語だ。確かに非常に人を鼓舞する話だ。