「食玩天王」〜梁家輝のエッセイより

fai22005-02-16

お誕生日以降、「日本」ネタがよく出てきます。ダーリン、なにげにサービスモードに入っている?(笑)あの高みの人にそれは、ありえね〜〜!なんですけど、ファンにとってはそんなことさえも嬉しいものです。ありがとー、家輝さん。
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2月13日の香港文匯報より 「食玩天王」

 小Pは30歳ちょっとで、プロの職業を持ち、未婚で恋人もいない。(いたのかもしれないが尋ねたことがないのでわからない)友達はみな彼の姓名を呼ばず「食玩天王」と呼ぶ。彼にこのあだ名があるのは、決して飲食や遊びに長けているというわけではなく、彼の「食玩」は専用の名前で香港では一般的に食品に付いている小さなおもちゃを指す。流行雑誌を見る読者なら、たいてい私が言っているものがどんなものだかわかるだろう。

 小Pが私に言うには「食玩」は和製漢字で日本に源を発するらしい。最初は飴やビスケットなどのお菓子に小さなおまけを付けて、それで客の興味を引き食品を買わせるものだったが、だんだん発展してきて、多くの客はみなおもちゃのために買うようになり、食品は二の次になった。甚だしきは、買ってもおもちゃだけが必要で、食品は捨てるということさえある。

 私は、アメリカ人がよく食べる朝食のコーンフレークの箱の中に小さなおもちゃやコレクションカードなどが付いていたが、そのほうが日本の食玩より早く始まったのではないか?と言った。小Pが言うには、あれが確かに食玩の原形ではあるが、しかしほんものの食玩とは言えない、日本の食玩商品は「主客転倒」して「玩具」が「食」より勝っている、ということだ。

 実際、いくつかの食玩商品は米国市場に進出するために、新たに包装することをいとわず「食」を捨てて「玩」を取って、米国の厳格な輸入食品法を迂回したことを以っても、これは「玩」が「食」に勝った最も良い解釈ではないか?

 小Pの家は大きいとは言えないが、しかし全ての空間は彼の秘蔵品でいっぱいである:客間、寝室、キッチンさえも各種各様の食玩であふれている。彼はいいかげんに買ったのではなく、すべてのシリーズには、すべてその源流や発展の歴史や収集の意義がある。彼はただ商品を収集するだけではなく、セットを展示するときの包装用の箱や、広告のチラシさえも全部そろえていて、目録まで作り、部類別に一個一個プラスティックのコレクションケースの中に陳列されている。
 
 大きい箱も小さい箱も、整斉と統一されていて、小Pは、このような工夫を凝らした計画や規格整理の方法もまた日本式の整理の真髄だと言う。わたしは彼の説明を聞きながら、自分のあの「乱れた中に秩序ある」仕事部屋を思い出して、思わず赤面してやまない。

 もしかすると、ある人は小Pが行うことをおおげさだと感じるかもしれないが、しかし私は彼のこのような夢中さをおもしろくていいと思う。張潮の『幽夢影』にあるように「……水には藻がなくなってはいけない、大木には蔓がなくなってはいけない、人には癖がなくなってはいけない」ということだ。


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それにしても、家輝さんのまわりにもM君みたいな人がいるのですね〜(爆!!)