「中国長衫」梁家輝のエッセイより

fai22005-02-10

2月5日香港文匯報の記事であります。
功夫」つながりをはじめ、いろいろな点でとても面白く私的に大いに受けた内容でしたのであげてみます@@

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「中国長衫」
仕事で必要な事もあり私は長衫(チョンサン)をよく着る。清朝に流行が始まった長衫は大変着心地がよく、スーツのように、襟首を硬く合わせた上ネクタイまで締め、上着は甲冑のようで、ベルトやベストなど着ていくうちに疲れるようなことはない。多くの友人は、私は外見が優雅でインテリっぽいので長衫を着るのが似合うと言うが、それは褒めすぎである。私自身何着か長衫を持っているが常には着られないし、普段もしそれを着て街に出たら、十中八九騒動を巻き起こすことになるだろう。

今の香港でたとえ芸能界の友人ではないとしても長衫を着て町に出たらまず好奇の目で見られるだろう。たとえ街で唐装をしている人を見かけたとしても多くはカンフー服で長衫はほとんど見ない。魯迅先生の「孔乙己」を読んだことがあれば両者の違いがわかるはずだ。ここまで書いて私は日本のことを思い起こした。特に京都では常々和服を着た男女をよく見るが、住民はみな見慣れている。私のようにたまには長衫を着てみたいと思っている者にとってはうらやましいことだ。

唐装といえば、以前旧市街でこのようないでたちの中年男女をたまに見かけることができたが、人口の流動と時代の変遷にともなって、今も大変珍しい。

ある日、友人のJ君が映画「功夫」を見て、その主役が大変気に入ったせいか、突然一着のカンフー服を仕立てて着て来た。そのかっこうでオフィスを行き来する様は極めて威風を放っていた。

午後、彼は嬉しそうに顧客に会うために外出したが、どうしたわけかしばらくして戻ってきたときには顔色は悪く、散々な目にあったような嘆きぶりで、最も興味深いことに、彼は衣服を着替えている。彼は満身不機嫌ながら、気持ちを落ち着かせていきさつを語った。

もともとJ君はその日重要顧客から電話を受け会議に出席するため出かけた。彼はタクシーに乗って行き、タクシーの運転手と世間話をしていた。「仕事ですかい?今年は景気はいいかい?」などの話題に彼は適当に応答し、心の中ではただ仕事のことばかり考えていた。車がもうすぐ到着するころ、運転手が念を押して言う。「どうせ警察はいやしないから、あんたを正門まで乗っけてくよ」J君は気にもせず、すぐお礼を言ったが、何としたことか、車の扉が開いたのはある葬儀場の正面玄関だった。なんと運転手は彼を占い師だと思っていたのだ。Jは古いしきたりを重んじる人間なので、葬儀場を見て縁起でもないと思ったのだろう、客に会った後早々に家に帰り服を着替えてきたというわけだ。