「三種人生態度」〜梁家輝のエッセイより

香港文匯報:2月1日の家輝さまのお話です。私は、高僧のご説法のようにありがたく受けとめました。家輝さまは実際、良夫賢父(・・・っては言わないか)でもいらっしゃいます。「姉妹情深」での母性愛は本物でしたもの。<三つの人生態度>

 今世紀最大の津波は表面上ではすでに過去のものだが、しかし影響は依然として続いている。その中のひとつは多くの人の人生観を変えたことだ。ある人は、自分がどんなに幸せな境遇にいるか知らなかったことに気づき、これから贅沢な習慣を完全に改める。またある人は、人生は無常であると見透かし、今できることは今やるべきだとする。それぞれ極端ではあるが、どちらも道理がある。

 これは私に1つの話を思い出させる。生活が思い通りにならない1人の娘が、実家に帰り母親に泣き言を言った。母親は根気よく聞き、笑うだけで何も言わない。母娘はその時台所にいて、母親はついでに三つの鍋に湯を沸かし、ひとつ目の鍋には1本のニンジンを入れ、二つ目の鍋には1個の卵を入れ、三つ目には茶さじ数杯のコーヒー豆を入れて、それから娘としばらく世間話を続けた。

三つの鍋のちがう材料を半時間ほど煮て、母親は火を消し、娘に真剣にその三つの煮えたものを見させた。娘は母親の真意がわからなかったが、言われたとおりにした。

 半時間ニンジンを煮ると、それは柔らかくなり簡単に切り割ることができる。卵は長く煮たので殻を剥くと牛肉団子のようだ。コーヒー豆となると、母親はすでに煮えたコーヒーを出して、砂糖とミルクを加え、二人にそれぞれ1杯ずつ注いだ。それから母親は疑惑でいっぱいになった娘に説明をする。:人がこの世に生きている限り、何事も全て順調にいくのは難しい。逆境のときは、試練とするほかない。試練と向かい合ったとき、人々はそれぞれの反応をする。

ある人はニンジンのように、最初はとても強硬だけど、しばらく煮ただけで完全に軟化して壊滅され形がなくなり、ある人は卵のように、もとは優しく弱々しい心が、日が経つにつれ精錬を積み、だんだん無感覚になって、最初の卵の殻は弱くて砕けやすかったけれど、そのあとは外の殻がなくても圧力を受け入れられる性質に変わる。コーヒー豆となると、それは屈服して柔らかくならないし、硬くなって無感覚にもならない。かえって試練に耐えて心の中の潜在的な本質を放出し、周囲の環境を変えて、人が喜ぶ美味しい一杯のコーヒーになる。人生が問題に直面する時、それぞれ反応は人によって違う。これは人々の成長する経歴によって影響される。誰が正しくて誰が間違っているかは、はっきり分からない。もしどうしても比較しなければならないとしたら、どの選択が、自分だけでなく人にも有利であることかを見てみるといいかもしれないだろう。

 三つの異なった反応、あなたはどれを選ぶだろうか?