「自由な創業」〜梁家輝のエッセイより

fai22005-05-11

家輝さんの本日のエッセイです。
確かにお言葉通り自分で事業を起こし営んでゆくのは大変なことですね。
しかし、事業が波に乗って、いろいろな方に求められ、利益も上がれば、何にも増す喜び。どんな労苦もここで報われるのでしょうね。


「自由な創業」

 ある50歳近い友人は、標準的なサラリーマンで、ずっと勤勉に会社のために命がけで働いていた。しかし彼にとって会社勤めは糊口を凌ぐためで、心中ずっと創業の念を持っていて、最近決心して専業でケーキ店を経営しようと思った。ケーキを作るのは彼の本職ではないが、彼の嗜好である。しかしどうしてこの時期を選ぶのだろうか?最近市場経済は復活の兆しがあり、経営コスト、特に家賃において、聞くところによるとすべて上昇している。私が思うには、前2年間の不動産市場は不景気だったので、小資本での創業にはさらに適していたのではないだろうか?

 友人の根拠は、大きな市場はよくない、顧客は消費する気持ちがない。彼のそのケーキ店で売るものは優雅な生活態度で、むしろ多くのコストをかけてもよく、他の人と安値で競争することも考えない。ケーキに関して私はただ食べるのが好きなだけで、経営となるとまったく素人なので、口出しはできない。しかしながら中国人が商人の性格であるということまで言及するならば、「工の字は上が出ない」(サラリーマンでは出世の望みがない)、「落花生売りでもとにもかくにも経営者」、これには私は少し言いたいことがある。

自分の趣味を発展させて事業にできることが確かにロマンのあることだということは否定できない。しかし、現実的な情況は決してこんなに簡単ではない:かつて、事務所の仕事は型通りであると嫌い、自分で創業すれば比較的自由になれると思いこみ、職を辞して商業界に入り経営者になった少なくない友人たちを見てきた。実は思いがけないことに経営者になるのはもっと不自由になることかもしれない。

 普通のサラリーマンは、日が出て沈むまで一日中、絶え間なく出勤して、近年は残業もあたりまえになっていることにうんざりしている。だから時間通りに出勤する必要がない経営者をうらやましく思う。実は指導者になったらかえって退社時間はなく、どんなときも決定や指令を下す必要があり、それらの圧力は決して耐えやすいものではない。

 普通の人の「創業」の多くは小さい店を創立することで、自分一人で働くか、あるいは一人か二人の人を雇う。毎日朝から晩まで働くのは言うまでもなく、店員が退社したり、休むか休暇をとったりするときは、自分自身で更に力を尽くさなければならない。結果、生活は以前のサラリーマンの時より更に不自由になる。ある友人はこのように「環頭環尾」(←香港人独特な表現なので日本語でどう訳すか不明、知っている方がいたら教えてください)のマーケットで3年5年商売をして、不景気なときは自分1人だけでやるしかない、毎週7日間働いて、毎日12時間、大型休暇どころか、平素「病気さえ病むことができない」(少々体調が悪くても頑張らなければならない)、この様な自由な創業、本当にどこが自由だか分からない。